story

あいホーム物語

Episode1.「おかえり」が言いたくて

昭和34年3月15日。
宮城県北部の中新田町(現在の加美郡加美町)に、建築木材の専門店が開店しました。その名は、『伊藤商会』。
当時、家族を養うため外へ出て働いていた創業者・伊藤ふみが、「ランドセルを背負って『ただいま』と帰ってくる子供に『おかえり』が言いたい」という母心から、家にいながら出来る仕事はないかと考え、立ち上げた店でした。

創業時のメンバーは2人。一人は伊藤ふみ、もう一人は大工をしていた実の弟・尾形益夫。
2人は、仙台の商工会議所や問屋を回って市場調査をし、取引先を開拓しました。それが、現在の『あいホーム』の仙台圏進出につながっていたのかもしれません。

高度成長の波に乗り、商売は繁盛。順調に業績を伸ばし、9年後の昭和43年には株式会社化をはかり『伊藤ベニヤ商会』に改名します。

ただし、当初の思惑とは異なり、忙しすぎる毎日。
朝から晩まではもとより、日曜祭日関係なしの24時間営業。
子供におかえりを言うどころか、食事さえも子供と一緒に食べられないという状態でした。
加えて、日々の肉体労働。扱う商品は重いものばかり。
ふみは、肩の皮がむけるほど材料を担ぎ、それを自分でトラックを運転して運び、働きぬいたのです。

Episode2.オイルショックのピンチがチャンスに

昭和49年、大きな試練が襲います。オイルショックです。
資材の供給量不足と物価の高騰で、建築資材の仕入れには大変な困難を要しましたが、そのような状況の中でも、コツコツと積み重ねてきた実績と信用のお陰で、ピンチをチャンスに変えて行くことが出来ました。

助けてくださったのは「伊藤ベニヤさんのところにある在庫を売ってもらいたい」というたくさんのお客様。
東京のお客様にまで、材料を販売したほどです。

後年、この「お客様からの信用」が、建設・不動産業へとサービスを拡大するきっかけになります。

Episode3.リーマンショックの最中も過去最高業績達成

平成6年、「住宅も建ててもらうことはできないか」という声が多くなってきたこともあり、前社長である伊藤耕の舵取りで、『IBSハウジング』を設立。
本格的な住宅建設と不動産業をスタートさせました。

はじめは、年間5棟の家作りから、着実にお客様目線の改善を続け、成長を遂げてきました。

平成13年は、多店舗展開をはかるにあたって必要に迫られ、創業者・伊藤ふみが75歳にして宅地建物取引主任者(通称宅建)に合格。
当時、宮城県での最高齢資格試験合格者となる、というあっぱれな出来事もありました。

平成20年、『株式会社あいホーム』に社名変更。
翌21年にはリーマンショックによって世界は大不況に陥りましたが、弊社は過去最高業績を達成。
創業当初より、「お客様から信用していただける会社」になろうとやってきた姿勢が、厳しい環境の中でも評価に結び付いたものと思われます。

以降も、経営理念にもある「お客様第一主義」に則り、「コミコミ価格」というお客様にとっての「わかりやすさ」を追求、平成22年には、年間100組以上のお客様の家作りをサポートさせていただきました。

Episode4.東日本大震災を乗り越えて

平成23年、宮城県は未曽有の災害、東日本大震災に襲われました。
「私たちの建てた家は、お客様の大切な生命や財産を守ることができたのか」
震災の一週間後、社員一同手分けして地域を回り確かめました。

結果なんと、施工した家600棟のうち、壊れた家は1棟もありませんでした。これは私たちの誇りです。  
平成25年、あの災害から立ち直るべく、懸命な復興作業は今も続いています。

私たちあいホームは、その復興のためにも「本気の家づくり」でお客様に応え、「本気の家づくり」でこれからも地域に貢献してまいります。